2020年11月18日、元朝日新聞社の植村隆さんが櫻井よしこさん及び出版3社(新潮社ワックダイヤモンド社)相手に起こした名誉毀損裁判が、最高裁の上告棄却によって幕を閉じました

2018年11月の札幌地裁判決、その判決を追認した2020年2月の札幌高裁判決が確定したわけですね

皆さまご存知かと思いますが、原告である植村隆さんの敗訴です

また、同様に西岡力さん及び文藝春秋を相手取り東京地裁で起こした名誉毀損裁判も、2019年6月に敗訴。植村隆さんは東京高裁に控訴しましたが、これも2020年3月に敗訴となりました(最高裁に上告中)

判決の内容について色々言いたいこともあるのですが、それ以前の問題として、この2つの裁判がどういうものだったのかがイマイチ共有されていない感じがあります

特に野良ウヨさんにおいては、勘違いしたまま植村隆さんを叩いている人が大勢見られます

まずはそのあたりの誤解から解いていきましょうか


ウヨの主張「植村隆は「捏造」した」←何を?


前述したように、植村隆さんは櫻井よしこさんや西岡力さんらを名誉毀損で訴えました

それは「捏造記者」とのレッテルをはられたためでした。これによりウヨどもの攻撃が植村隆さんに集中したのです

では、ここで問題です

Q.櫻井よしこさんや西岡力さんは、植村隆さんがなにを「捏造」したと主張したのでしょうか?

……ここで「「慰安婦」問題を捏造した」と回答したウヨさんは、もっと具体的に考えてください

「家が燃えた。なぜ?」→「火事になったから」では、答えになってませんよね?

お馬鹿なウヨさんのために、質問をわかりやすくしてみましょう

Q.植村隆さんはなにを「捏造」したことによって「慰安婦」問題を「捏造」した――と櫻井・西岡は主張している――のでしょうか?

これは植村隆さんを攻撃するウヨの半分近くが不正解になる問題です

解答の前に、まずは予想されるウヨ回答を潰しておきましょう


ウヨ回答「植村隆は吉田清治の証言によって「慰安婦」問題を捏造した」←ねーよw


野良ウヨの多くは、植村隆さんが吉田清治さんの証言を記事に書いたと思っているようです。だがしかし、それは根本的に間違っています

吉田清治さん(故人)は、1980年代から90年代初頭にかけて活動した著述家です。韓国・済州島において「慰安婦狩り(強制連行)」を指揮したと自著で主張し、その内容にもとづいて講演活動をしていました――しかし、彼の証言は捏造だったことが後に判明します

1982年9月2日、吉田清治さんの講演内容をまとめた記事が朝日新聞に掲載されました。ウヨたちは、この記事によって「慰安婦」問題が広まったと主張します
(実は「吉田証言」が朝日新聞に載るのは1980年3月7日が最初なのですが……)

しかし、この記事については、誰が書いた記事なのかわかっていません
https://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122337.html

その後の吉田清治記事も植村隆さんは執筆していません(後述する第三者委員会報告書をご覧下さい)

また、「捏造記者」とのレッテルをはった櫻井・西岡自身も、植村隆さんが吉田証言と直接関係しているとは主張していません

札幌高裁判決後の櫻井よしこさんの弁護団声明を見てみましょう

"「慰安婦が強制連行された」という見解が広く流布された原因は、1983年、吉田清治氏(故人。ペンネーム)自ら、「女子挺身隊を集めよという日本軍の命令を受けて、韓国の済州島で、奴隷狩りのような慰安婦の強制連行を実行した」という虚偽の事実を捏造して発表したためです"

※弁護団の認識では、1982年9月2日の朝日新聞記事ではなく、1983年7月刊行の吉田清治『私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行』(三一書房)を起点としているようです。『私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行』は彼にとって2作目の著書でした※

"そもそも、朝日新聞は、吉田氏が捏造した日本軍による強制連行という虚構を、加害者の告白として事実であるかのような大々的なキャンペーン報道を繰り返し、吉田詐話に合致する被害者(慰安婦)を探していましたが、(当然のことながら)見つけることはできませんでした。そうした中で、元朝日新聞記者植村隆氏は、1991年8月11日朝日新聞で、元慰安婦の金学順氏について「女子挺身隊の名で戦場に連行され」た慰安婦の生き残りを発見したという署名記事を書いたのです"
http://nadesiko-action.org/?p=14360

つまり櫻井よしこ弁護団の認識では、以下のようになるわけです

①1983年以降、朝日新聞は「吉田証言」という捏造証言をつかい大々的なキャンペーンをした
②植村隆は1991年8月11日に「吉田証言」に合致するよう捏造記事を書いた

植村隆さんは「吉田証言」そのものの記事を書いたわけではなく、それを捏造で裏付けようとした――というのが櫻井よしこ弁護団の立場なのですね

つまり、植村隆さんが吉田清治の証言を記事に書いていないことは、櫻井よしこ弁護団ですら認めるところなわけですよ

……ようするに、植村隆さんが「吉田証言」を記事にしていると思っているウヨは【右派の主張すら正確に把握できていないバカ】ということになります


櫻井よしこ弁護団の奇妙な主張



ここで少し話を脱線して、朝日新聞が吉田証言で"大々的なキャンペーン報道を繰り返し"ていたのかどうか検証します

結論から言えば、これは嘘です

朝日新聞は2014年に「慰安婦」報道について検証する第三者委員会をつくったのですが、その報告書の5~8ページをご覧下さい
(それぞれの記事の執筆者についても書かれているので、まだ植村隆さんが「吉田証言」を記事に書いたと思っている人はご確認ください)
https://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122201.pdf

また、報告書作成後に新たに吉田清治関連記事が発見されていますので、こちらも合わせてご覧下さい
(こちらには記者名はありませんが)
https://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122337.html

上2つのURLから、以下のようなことがわかります

朝日新聞が最初に吉田証言を記事で取り上げたのは、前述した1980年3月7日です。ですがこれは吉田清治さんへの取材をもとに記事を書いただけで、彼自身が登場するのは1982年9月2日が最初です

1982年10月1日には、吉田清治さんが裁判で証人となったことが記事になっています

以降、朝日新聞は、吉田清治さんが韓国に「謝罪の碑」を建てることに関連し、1983年10月19日、11月10日、12月24日、翌年1月17日と計4回報道しています

1986年7月9日には「アジアの戦争犠牲者を追悼」する集会に、吉田清治さんがその他大勢として参加しているのが報じられています(具体的な証言は無し)

次に吉田清治さんが朝日新聞に登場するのは、1990年代に入ってから。1990年6月19日と1991年5月21日ですね

……以上です。もう一度言います。以上です

1980年3月7日から植村隆さんの記事(1991年8月11日)まで、朝日新聞に吉田清治さん及び「吉田証言」が現れたのは、たったこれだけなんですね

11年と半年の間に登場回数10回(うち1回はその他大勢としての登場で詳細無し)……これが"大々的なキャンペーン報道を繰り返し"の実像です

櫻井よしこ弁護団が起点とする1983年以降に絞れば、登場回数はわずか7回にすぎません

しかも、実際の紙面を見ると、記事も小さく、一面トップというわけでもなく、わりとショッパイ扱いです。↓から当時の記事をダウンロードできますので、是非ご確認下さい
https://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122203.pdf

いやー、ウヨウヨ業界ではこういうのを"大々的なキャンペーン報道を繰り返し"と言うんですねー(^o^)/

もしかすると、ウヨさんのなかには、「吉田清治が登場しないだけで「慰安婦」キャンペーンは繰り返されていた!」と主張する諦めの悪い人もいるかもしれません

そんなウヨさんには、このグラフをプレゼントします

_20201129_145000
(具裕珍「日本における政治的脅威と保守運動 : 1990年代の不戦決議反対運動を中心に」より
https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/index.php?action=repository_view_main_item_detail&item_id=49784&item_no=1&page_id=28&block_id=31)

緑色が朝日新聞による「慰安婦」報道の件数です。緑色が目立って多くなってくるのが1991年からだとわかります

"大々的なキャンペーン報道を繰り返し"てなどいなかったことは、このグラフからも明らかですね

ここで重要なポイントは、「吉田証言」を使った大々的なキャンペーンが無い以上、【「吉田証言」に合致するよう捏造記事を書いた植村隆】という虚像も崩れ去ったということですね
(植村隆さんが個人的に「吉田証言」を信奉しており、それに合致させようと捏造記事を書いた――という説明もできなくはないですが、【所属会社の一大キャンペーンに合致させようとした】というストーリーに比べれば、格段に説得力が落ちますね)

では、脱線しすぎなような気もしますが、さらに論を進めていきましょう

上のグラフからもわかるとおり、「慰安婦」が社会の関心を集めたのは1991年からです

韓国において初めて元「慰安婦」の金学順さんが名乗りを上げ、植村隆さんが彼女のことを記事にし(1991年8月11日記事。金学順さんの音声テープを聴き、それを紹介した)、同年12月に彼女をはじめとした元「慰安婦」たちが戦後補償を求め東京地裁に訴訟をおこしてから、ということですね

吉田清治関連記事についても、植村記事以降に何本か出ています(「吉田証言」が疑問視されはじめた1992年には断定を避ける書き方になり、1993年以降は影を潜めることになりますが)

それでも吉田清治関連記事は多いとはいえませんでした

皆さんご存知のように、朝日新聞は2014年に吉田証言関連記事を訂正・取り消ししたのですが、その件数はわずか18件にすぎません(2014年8月に16件の訂正・取り消し、その後に2件追加。すべてが取り消されたわけではないが、それでも少ねぇ……)

しかも18件のなかには、読者投稿欄も含まれています――かなりショッパイ記事も含めて、これだけしかないということです

つまり、吉田証言とは、植村隆記事及びその後の金学順さんの行動に関連して、ちょびっとだけフィーチャーされた存在に過ぎない――と考えるのが自然でしょう

ここでは金学順さんが【主】で、吉田清治関連記事が【従】という関係が成り立っています

だというのに、ウヨウヨ業界には【「吉田証言」に合致するよう捏造記事を書いた植村隆】なるストーリーが広まっている。【主】と【従】が入れ替わっているわけです

なぜか?

そうでなければならなかったのです

「吉田証言」は捏造であることが確定しています。そうした【崩れた土台】の上に、金学順さんの証言が成り立っているということにしたかったわけですね

つまり、【土台が崩れている以上、その上に築かれた建造物も崩れている】という理屈を成り立たせるために、【主】と【従】は入れ替わらなければならなかったのです

ようするにウヨたちの「吉田証言」攻撃は、その実、金学順さんらを攻撃するために行われているものなのですね

※勘違いしそうなウヨさんもいるので補足しますが、「吉田証言」が土台でないからといって、ならば金学順さんの証言(植村隆さん記事)が「慰安婦」問題の土台なのかと言えば、そうではありません。土台の一部ではありますが、土台そのものかと言われれば……。歴史学とは、なにかひとつに依拠して土台にするような、そんな学問ではないからです※


ウヨの反論「捏造の件は朝日新聞も認めてるんだぞ!」


ここまでの話で、植村隆さんが「吉田証言」に関わりのないことはわかっていただけたかと思います

植村隆さんが書いたのは、「吉田証言」ではなく、韓国ではじめて「慰安婦」であることを告白した金学順さんの記事なのですね

それでもウヨさんのなかには「捏造の件は朝日新聞も認めて謝罪してるんだぞ!植村隆は捏造記者だ!」とクソ粘りを見せる人もいるでしょう

結論から言います

朝日新聞は、植村隆さんを「捏造記者」だとは認めていませんし、したがって捏造については謝罪もしてもいません

朝日新聞が認めているのは、「吉田証言」が捏造証言であることです。謝罪しているのは、「吉田証言」を記事にしたことです
(2020.12.13追記:朝日新聞は植村隆さんの記事についても一部の表現を訂正・謝罪をしていました。ただし植村隆さんの捏造を認めたわけではありません
http://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122337.html)

先ほどから何回か言及しているように、朝日新聞は2014年8月、それまでの「慰安婦」報道を検証し、その結果を発表しました

それらが集まっているURLが↓ですね(なぜか野良ウヨさんのなかには、これを「朝日新聞が植村隆の捏造を認めた証拠」と言う人がいますが……)
http://www.asahi.com/topics/ianfumondaiwokangaeru/

2020_11_29_030346


画像の矢印を見て下さい

"「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断(08/05)"というのが、「吉田証言」が捏造証言だったことを認めた記事です

一方、"「元慰安婦 初の証言」 記事に事実のねじ曲げない(08/05)"というのが、朝日新聞が植村隆さんを「捏造記者」だと認めていない記事です

この記事のなかで、朝日新聞はハッキリとこう書いています

"植村氏の記事には、意図的な事実のねじ曲げなどはありません"
http://www.asahi.com/articles/ASG7L6VT5G7LUTIL05M.html

繰り返しになりますが、もう一度言いましょう

朝日新聞は、植村隆さんを「捏造記者」だとは認めていませんし、したがって謝罪もしてもいません


※(2020.12.13追記)上にも追記していますが……朝日新聞は2014年8月5日以降、第三者委員会の提言を受け入れ、2014年12月23日に植村記事の一部を訂正し謝罪しています。ですが「捏造」について認めているわけではなく、そういった意味での謝罪はありませんでした
http://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122337.html



※少し補足します。朝日新聞による「慰安婦」報道検証は、「吉田証言」の捏造認定とそれを無批判に記事にした謝罪だけで構成されているわけではありません。それらは一部に過ぎないのです。全体として見れば、「吉田証言」の捏造認定が現代の「慰安婦」問題において、政治的意味以外なんら影響をもたないことを示しています※



中間まとめ



途中、話が脱線してしまったせいで少し話が長くなってしまいました


なので、いったんここまでのファクトをまとめてみましょう

ファクト①:植村隆さんは「吉田証言」を記事にしていない
ファクト②:朝日新聞は「吉田証言」で大々的なキャンペーンをしていない
ファクト③:朝日新聞は植村隆さんの記事を「捏造」とは認めていないし、そういった意味での謝罪もしていない(記事の一部の誤りは認め、その点については謝罪している)

②については、とりあえず、事実を直視したくないウヨさんは無視してもらってもかまいません

ですが①と③については、植村裁判を語るうえで、立場の左右関係なしに押さえておくべき最低ラインです

ガチのマジで、この最低ラインのファクトさえ押さえていない野良ウヨの、なんと多いことか。ウヨるならもっと真面目にウヨれよ、と思ってしまいます

この2つのファクトを押さえていなければ、櫻井よしこさんや西岡力さんらが何をもって植村隆さんを「捏造記者」呼ばわりしていたのか理解できていないことになるのですから、野良ウヨさんたちには本当に呆れるほかありません



……さて、今回はこのあたりでやめておきましょう

次回は、最初の設問の答えと、櫻井・西岡の主張がいかに間違っていたか、判決の本当の意味について書いていくことにしましょう

「最初の設問」とは↓のことですね

Q.植村隆さんはなにを「捏造」したことによって「慰安婦」問題を「捏造」した――と櫻井・西岡は主張している――のでしょうか?

別の更新を間に挟むかもしれないので、気長にお待ち下さい




(2020.12.13更新)朝日新聞が植村隆さんの記事について一部訂正・謝罪していることを補足し、それに関係する文章をちょちょいと手直ししました※