安倍晋三さんの兄貴分として、また、彼の側近中の側近として活動している衛藤晟一さんが、2019年9月11日発足の第4次安倍再改造内閣でとうとう大臣になりました

内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、消費者及び食品安全、少子化対策、海洋政策)という多岐に渡る役職でして、併せて内閣の一億総活躍・領土問題の担当もされるそうです

新文部科学大臣である萩生田光一さん(あいちトリエンナーレ、英語入試、幸福の科学大学)を筆頭に話題の絶えない新内閣ですが、衛藤晟一さん関係は不気味なくらい静かですね

しかし、衛藤晟一さんがこのまま大人しくしているはずがありません

なぜなら彼は……


衛藤晟一とは何者か→"ガチ"日本会議


有名すぎる話なので今更感はありますが、衛藤晟一さんは日本会議です

よく「安倍政権は日本会議ばかりだ」と言いますが、それは「日本会議国会議員懇談会」という超党派の議員連盟に所属しているというだけの話(それはそれで異常なんですが……)

衛藤晟一さんの場合、そのていどの話じゃないんですよねー

ガチなんですよ、ガチ。マジでガチな日本会議なんです

なにしろ大分大学在学中から「生長の家学生会全国総連合(生学連)」や「全国学生自治体連絡協議会(全国学協)」などで活躍していた、全国的に名を知れた「生長の家」系の右派活動家なのですよ

政界進出の際にも「生長の家政治連合(生政連)」の全面支援を受け、1973年に25歳で大分市市議に。1979年に生政連では全国初となる県議になっています

その後は国政に参入しようとしたところで「生長の家」本体が政治から手を引いたり(1990年、安倍晋三の父・晋太郎に救われる形で衆議院議員に)、国会議員になったあとも普通に選挙で破れたり、「郵政民営化造反組」として自民党を放逐されたり、復党をめぐって公明党とイザコザがあったりと、波乱万丈な政治家生活を送ることになります

第二次安倍政権以降は、安倍晋三の兄貴分・盟友として首相補佐官の地位で安定した余生を……と思っていたのでしたが、ここにきての大臣就任です


さて、問題の衛藤晟一さんと日本会議の関係ですが

これも今更な話ですが、まず、日本会議の源流が、衛藤晟一さんの活動母体であった「生長の家」という事実があります

「生長の家」本体は1983年に政治活動から身を引き穏健化しましたが、「生長の家」と決別し、創始者・谷口雅春の教えのウヨい部分を受け継いだ連中がいます

彼・彼女らは本家「生長の家」に対抗して「生長の家本流」を名乗り、その一部が今も日本会議の実務を担う「日本青年協議会(日本協議会)」です(「生長の家本流」は団体名ではなく、本家と決別したいくつかの団体・個人の総称。「生長の家本流」内部でも団体間の派閥争いはあるそうです)

日本青年協議会の設立は1970年。その黎明期に委員長をつとめていたのが、衛藤晟一さんです

衛藤晟一さんは日本青年協議会をはじめとする「生長の家本流」が「生長の家」と決別すると「生長の家本流」側につき、日本青年協議会がウヨ界や宗教右派をまとめ日本会議をつくれば、そこと歩調を合わせた行動をしました。そして、それは今も続いています

日本青年協議会の機関誌『祖国と青年』で連載をもつ青木協子さんの「月刊誌『祖国と青年』応援ブログ」では2013年に、

"安倍政権を盤石ならしめるためには、安倍総理を支える衛藤補佐官の存在が不可欠です"

とまで言っています

「月刊誌『祖国と青年』応援ブログ」は『祖国と青年』の半公式ブログみたいなものなので、これが日本青年協議会の見解ということでいいしょう

さすがウヨさん、仲間を称賛することにかけては超一流だね!

……まあ、つまり衛藤晟一さんはガチの日本会議ーーより正確に言えば、ガチの日本青年協議会なんですね

これらのことから、自身も「生長の家」系で日本青年協議会の後見人的存在だった村上正邦さん(元自民党参院議員会長)は、2016年の時点でこのように語っています

"もし安倍さんが日本会議の言い分を尊重しようとしているなら、衛藤晟一(首相補佐官 )を大臣にしているはずですよ。(中略)日本会議の象徴は、稲田(朋美・防衛相)じゃない。稲田だとみんな言うが、衛藤ですよ"

そして衛藤晟一さんはとうとう大臣になったわけですね


※当ブログでも「生長の家」本体が政治活動をやめた&穏健化した、と繰り返し述べていますが、いまだウヨ活動をしている個人はいます。ときどきウヨが表出するたびに「生長の家」が怒り→「生長の家本流」がそれを批判する、というのがだいたいのパターン

つい最近も、「生長の家」の経営者団体「栄える会」会長が、自宅兼自社事務所に自民党衆議院議員の後援会事務所の看板を掲げた問題で左遷させられたそうです


安倍晋三と衛藤晟一


衛藤晟一さんと安倍晋三さんとの関係について、もうちょっと詳しく書いていきましょう

先ほどの青木協子さんのブログ(https://ameblo.jp/seikyou40/entry-11541211459.html)でも引用されていた『文藝春秋』2013年2月号の赤坂太郎さんの記事を少し孫引きさせてもらいましょう

"(衛藤晟一さんは)90年に衆議院議員に初当選した。安倍の父、晋太郎の全面支援で大量当選した新人の1人だった"

1989年にドイツが統一され、日本は「あ、もう共産主義とか社会主義とかはオワコンなんだ」という雰囲気に包まれました

0か100か、こちら側かあちら側か、という二項対立でしか世界を見れない残念な人が多かったんですね

結果として自民党は衆議院議員選挙で圧勝しました。1983年に「生長の家政治連合(生政連)」が活動停止を宣言した余波をうけ、1986年の衆議院議員選挙で落選していた衛藤晟一さんも、ここで国政に参加することとなったのです


……主題からは外れるのですが、現在に繋がる話題なので少し補足。選挙の少し前、リクルート事件で打撃を受けた自民党が、カウンターとして「社会党(日本社会党)がパチンコ業界から献金を受けてるうぅぅ!」と犬笛を鳴らしました
しかし、そもそもパチンコ業界とより近いのは自民党。社会党を攻撃しているはずが、攻めを責められ、完全なるブーメラン状態に。晋太郎さんも自宅を「安倍のパチンコ御殿」呼ばわりされるなど、まさに泥沼。……それなのに、選挙では勝っちゃうんだなぁ
自民党の発した犬笛は、後にヘイト言説となって甦り、なぜか日本共産党への攻撃に使われることとなります


さて、大恩ある晋太郎さんは、総理総裁を確実視されながらも1991年に病死します

"晋三が後を継ぐと、衛藤は「晋太郎の夢を晋三に果たさせる」と心に期す"

安倍晋三さんが衆議院議員に初当選したのは、衛藤晟一さんの一期下、1993年の衆議院議員選挙でのこと

その後、衛藤晟一さんは兄貴分として、安倍晋三さんを導くこととなります

"今や、安倍の有力なブレーンとなっている右派のシンクタンク「日本政策研究センター」の伊藤哲夫代表を、若き日の安倍に紹介したのも衛藤だった。伊藤と衛藤は学生運動の同志の関係である"

もちろん伊藤哲夫さんも「生長の家本流」の人です。日本青年協議会の初期主要メンバーの1人ですね。彼の「日本政策研究センター」は日本会議と連携した動きをとっています

こうしたことから赤坂太郎さんは記事を以下のように締めくくっています

"衛藤は、保守政治家としての安倍晋三の「生みの親」とも言える"


「歴史・検討委員会」と「教科書議連」


安倍晋三さんが当選した1993年は、自民党にとって波乱の年でした

いわゆる「新党ブーム」の煽りを受け、自民党が政権与党の座から滑り落ちます。ライバルである社会党もまた、新党に押されて存在感を消してしまいます

自民党と社会党による1.5大政党制、つまり55年体制はここに崩壊したのです

首相の座についたのは、日本新党代表の細川護煕さんでした

細川護煕さんは就任直後の記者会見で、アジア太平洋戦争についてこんなことを語ります

"私自身は侵略戦争であった、間違った戦争であったと認識している"

なお、2年前の1991年には、韓国の民主化&フェミニズムの興隆によって、金学順さんが「慰安婦」であったことを告白していました。また、2年後の1995年には、戦後50年の節目が迫っていました

細川護煕さんの言葉にウヨ界隈は即座に反応し、全国各地で「日本は侵略国ではない国民運動」が展開されることとなります

そして自民党も党内に「歴史・検討委員会」を設立しました

「検討」と名はついていますが、その実、「自民史観」とでもいうべきものを打ち出すことによって真っ当な歴史観を打ち消すことが目的の委員会です

事実、1995年8月15日に展転社から刊行された「歴史・検討委員会」の『大東亜戦争の総括』の内容は、歴史修正主義満載のひどいシロモノでした。なお、この日は「村山談話」が出された日でもあります

それはともかく、細川護煕さんの記者会見が1993年8月10日で、「歴史・検討委員会」の設立が同じく8月。恐ろしくスピード感のある対応です。実は自民党の急所は昔も今も歴史認識問題にあるーーということでしょうか?

「歴史・検討委員会」には、自民党幹部をはじめとしたベテラン勢とともに、当選回数の少ない若手議員たちも参加しています

安倍晋三さんと衛藤晟一さんもメンバーでした

「歴史・検討委員会」には、ベテラン極右議員(奥野誠亮さん、板垣正さん、あとは前述した日本青年協議会の後見人・村上正邦さんなど)による若手議員教育という意味合いもあったのです

つまり安倍晋三さんにとって衛藤晟一さんは、頼れる兄貴分であるばかりでなく、ともに極右の教えを受けた同級生的存在でもあるのです

安倍晋三さんは極右の教えを存分に吸収。血筋や衛藤晟一さんらの後押しもあり、「歴史・検討委員会」で学ぶ若手議員のリーダー格に成長しました

やがて「歴史・検討委員会」の若手議員たちは、1997年に「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会(教科書議連)」をつくることとなります。メンバーには安倍晋三さんや衛藤晟一さんをはじめ、中川昭一さんや河村健夫さん、岸田文雄さんなどがいました

教科書議連は同時期に設立された「新しい歴史教科書をつくる会」をバックアップするためにつくられたものです

また、この時期には日本会議もあわせて設立されています

1993年の細川護煕さんの記者会見にはじまり、1997年の日本会議設立をもって、現在のウヨ界の基本体制が成立したわけです

安倍晋三さんと衛藤晟一さんは、この体制のもと、強く結ばれた絆を携え政界を駆け抜けていくことになります

安倍晋三さんは、衛藤晟一さんが郵政民営化造反組となったときも見捨てず手を貸し、第二次安倍政権発足後はずっと首相補佐官として側に仕えさせ、そして今回ついに大臣にまで任命したのです

2人の結びつきの強さが、今後どのように政局に影響するのか見物ですね


おわりに


……いろいろ立て込んで更新が遅れているうちに、衛藤晟一さんってば、靖国神社に参拝しましたね(2019年10月17日)

今後、ますます個性を出してくるでしょうから、衛藤晟一さんのことは要チェックしとかなくてはなりませんね

多岐に渡る衛藤晟一さんの職務のなかで、特に注目したいのは「一億総活躍」や「少子化対策」分野での仕事です

よく知られるように、日本会議はフェミニズム運動へのバッシングをかましていた連中の筆頭です。また、昔ながらの家族観を国民に押し付けようともしています

日本会議そのものと言っても過言ではない衛藤晟一さんが、いかなる政策を打ち出すのか、いまはひとまず見守りましょう

……今日は有名な話ばかりをしてしまいましたが、衛藤晟一さんについてはこれから深掘りしていこうと思いますのでよろしくお願いします


参考文献
・藤生明『ドキュメント日本会議』
・俵義文『日本会議の全貌』
・青木理『日本会議の正体』


余談


「生長の家本流」系の掲示板に衛藤晟一さんの大臣就任を祝う投稿があったので、タイトルとURLをご紹介

・おめでとうございます。衛藤晟一氏の初入閣を心からお祝い申し上げます

・〈吉報!〉万歳!衛藤晟一首相補佐官が一億総活躍担当相に就任! 

"万歳!"のほうには2019年11月9日に予定されている「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」に「谷口雅春先生を学ぶ会」のための席が500席用意されていることが語られています

"今回、私が殊の外嬉しいのは、衛藤先生が入閣することで、今度の安倍内閣は、男系継承内閣になる、そう確信したからに他なりません"

"有り難いことに、「谷口雅春先生を学ぶ会」に500席の椅子席を用意していただいたのも、男系継承への思いが、そこには込められているからだと私は解しております"

普通に読めば、席を用意したのは衛藤晟一さんということになりますが……?


ついでに前述した衛藤晟一さんの靖国参拝への反応も

・われらが衛藤晟一沖縄北方相が靖国神社正式参拝