9月1日は日本人にとって特別な日です

1923年のこの日、関東大震災がおこり、「朝鮮人が暴れている」とのデマ情報をもとに、日本人は数多の朝鮮人を虐殺しました

これは議論の余地がない明白な事実です

右派がいかに史料の「切り取り」をしようとも、それをもとに「これが虐殺を否定する証拠だ!」と喚こうとも、虐殺があった事実は変えようがありません

また、右派がどんなに頑張ろうとも、学術の世界で否定論が認められることは、未来永劫あり得ないでしょう

それと同様に「虐殺はあったが、それは朝鮮人が暴動をおこしたから(正当防衛論)」という説も明白にデタラメです

そういった歴史的事実については、多くの良書やサイトがあるのでここでは触れません

今日は虐殺否定論がいかに馬鹿げた妄言であるかはさて置いて、それにまつわる右派の動向を書いていこうと思います


朝鮮人虐殺否定論の誕生


否定論は、2009年、産経新聞出版から刊行された『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』にはじまります

小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」で有名な『SAPIO』で、一年かけて連載された戯れ言の単行本化です

作者は工藤美代子さんと加藤康男さんの共同執筆。ふたりは夫婦です

『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』では、デマ・トリックによって否定論が構成されています

震災直後の混乱期に飛び交ったデマの数々をもって「これが虐殺のなかった証拠だ!」としたり、史料を「切り取り」し改竄レベルのことを行ったり……

なんともお粗末なトリックばかりなのですが、発売から10年たった現在も、ネット上及び政治家の世界で関東大震災朝鮮人虐殺否定論には一定の支持者がいるようです(もちろん学術の世界では皆無ですが)

普通に考えれば、歴史学者ばかりでなく、防災や流言蜚語、メディア関連の学者が様々な角度から検証し続けている歴史的事象を根底から覆せるはずがないんですがねぇ

そもそも大日本帝国の敗戦とともに証拠隠滅された数々の悪事とは違い、大正期に国内でおきた、多くの証拠が残された事件なのです。否定論なんて入り込む余地はありません

そしてその認識は大部分のウヨさんにとっても同じだったはずです。日本ウヨによる歴史修正主義がおおっぴらに横行し始めたのは1990年代半ばからですが、そこから工藤夫妻によるインチキ本までだいぶ時間があいています

これはウヨ勢力にしても関東大震災朝鮮人虐殺否定論が成り立たないと思っていたなによりの証明でしょう

さらに言えば、現在でも育鵬社の教科書にすら虐殺の事実は書かれています

そして、書き方に引っ掛かりを覚える面はなきにしもあらずですが、産経新聞ですら……


横浜市の蛮行①産経新聞と横山正人市議


学術の世界ではまったく相手にされない朝鮮人虐殺否定論ですが、しかしネット右翼を中心に、ネットの中ではそれが事実のように語られ続けました

今ではネット右翼的な気質をもつアレな政治家たちの間では、否定論こそ真実であるかのような言説が流通しています

特に地方議員レベルとなると……

今日は横浜市での事例を見ていきましょう


関東大震災と『わかるヨコハマ』2012年度改訂版をめぐる攻防

"関東大震災は、「東京の地震」のように思われているが、最大震度である震度7の大地震に見舞われた場所はほとんど神奈川県南部であり、あえて言うなら「神奈川の地震」だった"

……とまで言われるように、神奈川は関東大震災に縁の深い土地柄です

その神奈川県横浜市の中学校には、かつて横浜市教育委員会が独自につくる副読本『わかるヨコハマ』というものがありました

いわゆる郷土教育の一環ですね

郷土教育といえば「日本スゴイ」ならぬ「おらの県スゴイ」に終始するのが常ですが、こちらは負の歴史である関東大震災朝鮮人虐殺のことも伝える感心な副読本でした

『わかるヨコハマ』で関東大震災朝鮮人虐殺について言及されたのは、その前身である『横浜の歴史』1974年度版からです。1990年度版から詳細されるようになりました

しかし従来の記述では「虐殺」という表現は避けられ、「殺害」というふうに表現されていました。また、2009年改訂版では、著者の勘違いにより一時的に、虐殺をした主体に軍・警察が記述されていませんでした(自警団は有)

そこで2012年改訂版には、従来の記述からさらに一歩踏み込んで、デマを信じた軍・警察・自警団が朝鮮人を……そして中国人まで虐殺したことが明確に記述されたのです

しかし、そのことを問題にした新聞があります

もちろん産経新聞です


産経新聞社という犬笛

産経新聞が『わかるヨコハマ』2012年改訂版を問題視した記事を発表したのは、同年6月25日のこと。一面トップ記事という力の入れようでした

見出しは"横浜市教委 書き換え/中学副読本、事務局判断"です

"『わかるヨコハマ』の今年度の改訂で、関東大震災直後の「朝鮮人虐殺」の記述が教育委員に報告せずに書き換えられていたことが分かった。歴史認識に関わる改訂にもかかわらず、一部の事務局職員の判断で行われた"

このことから"今後も恣意的な修正が相次ぎかね"ないと産経新聞は書いています

関東大震災朝鮮人虐殺についてはウヨさん以外誰が書いても同じ表現になるはず……という当たり前の認識がない者が読めば「なるほど、問題だ」と思うかもしれません

たしかに諸説ある事件の記述修正を一事務員の判断でやったとすれば問題であり、その意味においては産経新聞の言っていることは正しいです。それが本当に諸説あるならば、という前提つきですが

実は産経新聞は、ただのトンデモバカ新聞ではなく、前提知識の欠如した者が読めば良いことを書いているので厄介なのですよ

そして一見しただけでは良いことを言っているようにも思える記事の中に、産経新聞が本当に言いたいトンデモを忍び込ませるという巧妙さがあります

この記事で言えば、先に述べた虐殺否定論の開発者である工藤美代子さんのコメントがそれにあたります

"被害者の数が何千、何万と独り歩きする『南京大虐殺』と同じ構図が『朝鮮人虐殺』にもあり、教材で扱うには慎重さが求められる。不幸な事件だが、当時は朝鮮独立運動のテロがあった。今回の改訂版の記述は一方的だ"

ようするに産経新聞の本音は、改訂手続き上の問題点を指摘したいのではなしに、歴史を否定したいだけなのです

産経新聞の記事は、SNS等で大きな反響を呼びました。同じフジサンケイグループである夕刊フジも副読本批判に加わります

横浜市議会ではウヨ系議員が副読本を攻撃し、さらには右翼団体による街宣活動・ウヨたちによる抗議の電話が教育委員会に殺到します

産経新聞はまさしく攻撃対象を教える「犬笛」なのです


横山正人市議(自民党・日本会議首都圏地方議員懇談会副会長)

産経新聞の「犬笛」によって、ネトウヨマインドの持ち主・横山正人市議(http://www.masato.tv/profile/index.html)が『わかるヨコハマ』2012年改訂版に噛みつきます

産経新聞が問題提起し、ウヨ議員が議会で質問し、SNSが拡散するという、国政でも見られる「犬笛」の黄金パターンが地方議会にも現れたのです

2012年7月19日、市会常任委員会こども青少年・教育委員会、横山正人市議の発言が↓になります

"今回改訂されたものではどのように表現されているかというと、あたかも軍や警察が自警団とともに朝鮮人を虐殺した、こういう極めて強い表現になっています"

"この虐殺という表現は、例えばナチの大量虐殺とかポル・ポトの大量虐殺とか、そう使う表現ですよ。関東大震災後の世間で使われる表現ではないと思うのですね"

その後の議事録を追うと、山田巧教育長(当時)が横山正人市議に同調し表現を変えることを確約するのがわかります

このように言葉遣い等から左派の主張を切り崩していくウヨのやり口は「一点突破」と呼ばれています。一点さえ突破できれば、あとは「小さく生んで大きく育てる」ことが可能であり、やがては否定論に繋げられるのです

ドチンピラなんかもよく「なんだその言葉遣いは!」という一点突破を狙いますが、それと同じことでしょう

なお、2008年内閣府中央防災会議調査報告書『一九二三関東大震災 第二編』(「第4章 第2節 殺傷事件の発生」冒頭部)には

"武器を持った多数者が非武装の少数者に暴行を加え殺害するという虐殺という表現が妥当する例が多かった"

……とあり、「虐殺」という言葉遣いに噛みつくのはただの難癖です

参考:『一九二三関東大震災 第二編』

さらに横山正人市議はこんなことも喋っています

"日本人の犠牲者に対しては当時のお金で16円の国費からの弔慰金を支出しているようですが、特段朝鮮半島出身者の方には200円支出している、むしろ手厚く保護をしていた"

と、弔慰金の多さをまるで「在日特権」ででもあるかのように誇示していますが……

自然災害で死んだ人よりも、自然災害を辛くも生き延びたのに無惨にも虐殺されちゃった人では、そりゃ弔慰金に差が出るでしょう、としか

なぜそれを「虐殺」という言葉遣いにイチャモンをつける材料にできるのか理解に苦しみます

『わかるヨコハマ』への攻撃を報じた神奈川新聞では、この弔慰金での発言はウヨの手口のひとつ「加害と被害の逆転」だと喝破していますね(『時代の正体3』収録)

虐殺事件の加害者であるはずの日本が、ウヨの目には朝鮮人から弔慰金を多くとられる被害者として立ち現れる……

横山正人市議自身の発言には、それほどの被害者意識は感じられませんが、構造としては「加害と被害の逆転」の枠組みなのです

議事録を読み進めていくと、横山正人市議はさらに『わかるヨコハマ』の回収を求めています

"この記載内容は、先ほども申し上げたように非常に多くの問題をはらんでおるので、私は、本来であるならばすぐに回収して新たなものを生徒に配付するべきではないかと思いますけれども、教育長の考えをお伺いします"

山田巧教育長はこれに応え、

"来年度版--2013年度版に改訂内容を反映していきたいと考えております。そのときに、今年度、既に中学校1年生に配っております2012年度版は回収した上で、来年度1年生になる子と来年度2年生になる子と、2年度分のわかるヨコハマを配付していきたいと考えております"

こうして横山正人市議のイチャモンと山田巧教育長の同調によって、2012年版は全て回収・溶解処分され、2013度版『わかるヨコハマ』から「虐殺」の二文字が消えました。同様に虐殺の主体であるはずの軍隊・警官も存在をかき消されています。「関東大震災殉難朝鮮人慰霊之碑」の写真と説明も削除されました

さらには産経新聞が表向きの問題とした"歴史認識に関わる改訂にもかかわらず、一部の事務局職員の判断で行われた"という記述に出てくる事務局職員も処分されてしまいます

「一点突破」によって小さく生まれた横浜市における虐殺否定論は、この時点ですでに大きく育ってしまったわけです

しかし、副読本への右派の攻撃はこれにとどまりませんでした


小幡正雄市議の攻撃と新副読本『Yokohama Express』


小幡正雄市議とは何者か?

横浜市における朝鮮人虐殺否定論の流れは、2014年10月1日・市会決算特別委員会と2015年2月24日・市会定例会でさらなる展開を見せます

攻撃者は小幡正雄市議。それに同調したのは岡田優子教育長(当時)です

小幡正雄市議の経歴が横山正人市議以上に「オッ」となるものだったので紹介します

小幡正雄市議のホームページによると、彼は旧・民社党系の人材です。民社党本部職員→民社党横浜市市議→民主党→民主党離党といった経歴で、本人の弁によると「中田宏横浜市長の生みの親」だそうで(それは自慢することなのか?)

民社党については藤生明さんの連載をどうぞ→

小幡正雄市議は当然のように日本会議の会員で、別動隊である「美しい日本の憲法をつくる国民の会」では賛同者拡大推進委員をつとめておられるのだとか

"日教組の影響が強かった市教委に組合に支配されない教育の正常化を働きかけ続けている。横浜市の中学校教科書を自由社・育鵬社の教科書採択に尽力"ともあり、コテコテの極右議員です

プロフィールに書かれている「神奈川の教育を良くする会」というのがよくわからないですが、おそらくは「教育を良くする神奈川県民の会」のことだと思われます(名うてのウヨ連中を講師に招いている団体なのでまず間違いありません)

「教育を良くする神奈川県民の会」ホームページ→

「教育を良くする神奈川県民の会」設立時のイベント→

小幡正雄市議の現在の役職で特に気になるのは「横浜正論の会 幹事長」というもの

「横浜正論の会」ホームページ→

「横浜正論の会」設立時(2018.7)の産経新聞記事→

ホームページには明言していないですが、フジサンケイグループの月刊誌『正論』の愛読者の会である「正論の会」の横浜市バージョンでしょう

「正論の会」は小幡正雄市議も会員になっている「日本世論の会」(https://ameblo.jp/nihonyoronnokai-honbu/)の姉妹団体です。なお、「日本世論の会」代表である三輪和雄さんはチャンネル桜で開局以来ずっとキャスターをつとめているウヨ界の大御所です

……と、話が脱線しましたが、「横浜正論の会」の会長は富岡幸一郎さんです

富岡幸一郎さんは雑誌『表現者』の編集者だったことからみて、故・西部邁系統のウヨということになるでしょうか(『表現者』は現在、『表現者クライテリオン』と改題され、藤井聡さんを編集長に啓文社から刊行されています)。ようするに最近わりとよく見る「ヤァヤァ、我こそは真の保守」系統ということでしょう。キリスト者で、なおかつウヨという素敵仕様な人でもあります


小幡正雄市議と富岡幸一郎さんがコンビを組んだ「横浜正論の会」

横浜市在住の人は今後の動向に注目しては?


小幡正雄市議の捏造

2014年10月1日、横浜市市会決算特別委員会。小幡正雄市議は証拠を捏造してまで「わかるヨコハマ」を攻撃します

"中学校の副読本の場合は、関係者に聞きますと、活用は10%程度だというのです"
"10%というのはほとんど活用されていないということで、あの分厚いものが本当に今必要なのかどうか"

結論から言えば、"活用は10%程度"というのは嘘であり捏造です

↓が神奈川新聞によるファクトチェック

"「横浜市教育活動実施状況調査(中学校副読本の活用状況)」の結果は「充分活用している」が10・96%、「活用している」が33・56%、「一部活用している」が55・48%というものだった"
(『時代の正体3』より)

これもウヨの手口のひとつ「切り取り」です

「充分活用している」10・96%のところだけを「切り取り」、それ以外をなかったことにしています

小幡正雄市議の発言は捏造と言うほかないでしょう

しかし、岡田優子教育長(当時)はこれに同調してしまいます。岡田優子さんといえば、福島から避難した子どもがイジメ&恐喝をうけていた件で、

「関わったとされる子どもたちが『おごってもらった』と言っていることなどから、いじめという結論を導くのは疑問がある」

という発言をして炎上した人ですね

それはともかくとして、小幡正雄市議の議会での発言をさらに見ていきましょう

"横浜で小学生を含めた中学校の副読本は、日常会話や日本や横浜について、日本語と英語を表記して、それにCDを加えて、いつでも英語で聞けるような特別実施を目指す中で、教育の特区などの工夫が必要であると考えます"

これも一見すると良いことを言っているようにも見えます(副読本に英語を入れられてもなぁ、とは思いますが)

ただしその目的は、副読本から関東大震災朝鮮人虐殺の記述を消すためのものでしょう。先にあげた小幡正雄市議の発言に"あの分厚いものが"とあるのも同様です

副読本のページ数削減&英語の分だけ記述量減少→関東大震災朝鮮人虐殺について書くスペースが無くなる

……というのが本当の狙いなのです

その狙いのもと、ページ数削減&英語を求める小幡正雄市議は、2015年2月24日の市会定例会において、またしても"活用は10%程度"という捏造をもちだします

"市教育委員会が認めるように、副読本の活用状況は10%程度しかなく、ほとんど使用されてない副読本の購入費に数千万円も使っている実態があります。横浜については、子供たちが活用しやすい内容を日本語と英語を表記し、ネイティブ英語のCDをつけた副読本に切りかえてはいかがでしょうか"

これに対して岡田優子教育長は、

"次年度以降の改訂について、グローバル人材の育成の視点なども入れ、生徒にとってよりわかりやすく、活用しやすい副読本となるよう検討いたします"

……として、小幡正雄市議の主張を受け入れました

こうして副読本『わかるヨコハマ』は、全面的に改訂された『Yokohama Express』に生まれ変わることが決定しました

※余談になりますが、2014年10月1日の市会決算特別委員会につきましては、副読本関連以外もいろいろヒドイので一度見て頂きたい。小幡正雄市議及び今田教育委員長のやりとりです。「慰安婦」問題や日教組への攻撃が普通に程度の低いネトウヨレベルなんですよ


『Yokohama Express』原案

2016年6月、市民団体「歴史を学ぶ市民の会・神奈川」による情報開示請求を受けて『Yokohama Express』の原案が公のものとなると、これまた一騒動もちあがりました

なぜなら300ページ以上あった『わかるヨコハマ』が『Yokohama Express』(原案)になったとたんに74ページまで減少。そこには朝鮮人虐殺の事実が記されていなかったのです

市教委指導企画課の三宅一彦課長の説明によると、

"レイアウト上の制約があるなか、ほかのことから書き進めていったところ、文字数がちょうどうまった"(『時代の正体3』)

……とのことで、まさしく小幡正雄市議の狙いが当たった形でした


反撃! 北宏一朗の戦い


副読本……そして歴史に加えられた攻撃の数々

心ある人々はそれをただ指をくわえて眺めていたわけではありません

ウヨたちに修正されそうになる歴史を、どうにか踏みとどまらせようとした人たちがいます

その中心に「歴史を学ぶ市民の会・神奈川」代表の北宏一朗さんがいました


北宏一朗という男

北宏一朗さんは1941年広島市中島本町生まれ。1945年の原爆により、4歳で入市被爆者となります

彼は後に、日本軍の戦争責任を追及する研究者となります。研究者といっても、大学の先生というわけではありません。いわゆる「在野の研究者」というやつです

"私は、長いこと日本軍の毒ガス戦のことを研究してきました。毒ガスの製造過程を見ていくと、巨大企業が関わっていたことがわかります。それどころか敗戦後、日本の化学メーカーはなんの反省もなく、つづく戦争(朝鮮戦争、ベトナム戦争)で同じことをやってきたのです"
(『日中戦争から80年 加害の歴史に向き合う』収録、北宏一朗「毒ガスを製造した巨大企業」)

というわけで、彼の専門は日本軍の毒ガス戦でした。被害者に会いに行き、加害者の話を聞き、戦前から続く化学メーカーの社史を細かく読み解いていく気の遠くなるような作業を何十年も続けたといいます

北宏一朗さんの講演をおさめた動画が、彼の名でYouTube内を検索すればいくつかでてきます
日本軍に協力して毒ガスをつくっていたくせに今ものうのうと活動を続ける巨大化学メーカーの話や、日本軍の遺棄した毒ガスについての話が特に得意だったようです

北宏一朗さんの研究と人となりがわかる短い動画があるので、貼り付けておきます



上の動画でもわかるとは思うのですが、北宏一朗さんは研究者であると同時に社会活動家でもありました

「化学兵器被害解決ネットワーク」や「記憶の継承を進める神奈川の会」への参加・協力などなど、専門知識を活かした活動が多かったようです

社会活動家としての彼の名を一躍全国区にしたのが、今回お話している横浜市副読本をめぐる戦い。そして映画『沈黙-立ち上がる慰安婦』(朴壽南(パク・スナム)監督)を守る戦いでした

この映画は、かつて日本軍に性奴隷にされた李玉先(イ・オクソン)さんとその仲間たちが、50年の沈黙を破り、日本政府に謝罪と個人補償を求めた姿を追いかけたドキュメンタリーです

2018年10月16日、神奈川県茅ケ崎市の市民文化会館で『沈黙-立ち上がる慰安婦』が上映されました。市教育委員会の後援がウヨどもから問題視され抗議が殺到し、日本第一党(在特会)やガチ右翼たちが妨害に現れるなかでの上映でした

北宏一朗さんは右翼の妨害を阻止するボランティアチームのリーダーとして映画を守り抜いたのです

その様子は、この上映をめぐる騒動をおさめたミニドキュメンタリー「上映を勝ち取る日まで」にもおさめられています


副読本をめぐる市民の戦いと小さな勝利

2012年7月における横山正人市議の「わかるヨコハマ」への攻撃は、市民や研究者に多大なショックを与えました

なにより衝撃だったのは、ウヨ議員の戯言に易々と教育長がのっかってしまったこと

北宏一朗さんが代表をつとめる「歴史を学ぶ市民の会・神奈川」の他、「かながわ歴史教育を考える市民の会」などは、政治的圧力に屈してはならないと横浜市教育委員会に繰り返し要望書を提出します

……が、効果はありませんでした

小幡正雄市議による2014・2015年の攻撃によって「わかるヨコハマ」の消滅&新副読本の誕生が決まる頃には、文書による要請ではラチがあかないとして、市教育委員会に話し合いの場をもつよう交渉を開始しています

一方で、北宏一朗さんと「歴史を学ぶ市民の会・神奈川」が新副読本『Yokohama Express』の原案を開示するよう請求していたのは、先に述べたとおり

『Yokohama Express』の原案に虐殺の記述が一切ないことが明かされると、「歴史を学ぶ市民の会・神奈川」だけでなく、研究者約70人が連名で要望書を提出します

神奈川新聞は『Yokohama Express』の原案を報道し、大きな反響を呼びました。抗議が殺到した市教育委員会は、方針転換を余儀なくされます

市民と市教育委員会との話し合いの場ももうけられました(この話し合いは年4回の定例開催になったそうです)

そしてついに、『Yokohama Express』に次の一文が加えられることになったのです

"この混乱の中で、根拠のないうわさが流れ、朝鮮人や中国人が殺害される、いたましいできごとも起こりました"

もちろん『わかるヨコハマ』2012年版に比べれば、大幅な後退であることは認めざるをえません

ですが、まったく記述がなくなる可能性があったことを考えれば、これが北宏一朗さんと市民たちの勝利であることは事実です

北宏一朗さんは、この小さな勝利を次のように語っています

"右派的なマスコミ・ネット右翼・自民党議員・右翼団体は連携して攻撃してきますが、私たちも在日コリアンと日本人、市民・専門家・弁護士・メディア関係者が共同して闘えば必ず勝てるはずです。横浜市の副読本の再訂正や、横須賀上映会の成功を、市民にとっての大きな勝利体験として読者の皆さんに伝えたいのです"
(季刊『社会運動』2019年4月<434号>)


おわりに


2019年6月10日。北宏一朗さんはすい臓ガンにより永い眠りにつきました

"北さんは親族もおられず、セレモニーはおこないません。遺灰は相模湾に散骨して、と残されました"

「記憶の継承を進める神奈川の会」のホームページには、北宏一朗さんを偲ぶページが今も据えられています


参考文献

・加藤直樹『TRICK トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』
・神奈川新聞「時代の正体」取材班『時代の正体vol.3 忘却に抗い、語りつづける』
・季刊『社会運動』2019年4月<434号>

どれも名著だから是非

なお、『社会運動』に掲載された北宏一朗さんの文章は無料で読めます→http://cpri.jp/2678/