2018年は靖国神社の宮司が2度も途中交代するという珍事が続いた

徳川康久(2月末退任)→小堀邦夫(10月末退任)→山口建史という目まぐるしい交代劇である

A級戦犯合祀で知られる松平永芳さんですら1978~1992年の長期にわたり宮司についていたことを考えると、異例の事態といえる(合祀は1978年、発覚は翌年)

靖国神社宮司の定年は75歳。よっぽどのことがなければ……というかよっぽどのことがあっても定年まで安泰なのは、松平永芳さんの事例でわかるだろう

「世間から非難されても、右派からの批判がなければいいんだろ。あいつら内輪の評判しか気にしないし」という声も聞こえてきそうだが、そうではない
2005年の「富田メモ」によって昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を示していたことが明らかになる遥か以前から、右派による松平永芳宮司への批判はあった

・靖国神社をイデオロギー対立の場としてしまったこと
・時期尚早

上記2点が右派の主な批判である

宮澤佳廣『靖国神社が消える日』によると、後者の点で葦津珍彦さんが1980年の『中外日報』に批判を寄せていたという
葦津珍彦さんとしては、靖国神社を国家護持にし、その後に国民のコンセンサスをとりつけA級戦犯を合祀する腹づもりだったようだ

葦津珍彦さんは「昭和天皇の弁護人」を自認する神道家で、戦後ウヨ活動の中心だった人。生長の家から分離した谷口雅春原理主義者たち(日本会議の中核層)が崇める「4先生」のうちの1人である

一般社会はもちろん、ウヨ界の大物の批判すら浴びた松平永芳さん。彼でも定年まで宮司をつとめたという事実

2018年2月に途中退任した徳川康久さんや、同年10月にスピード退任した小堀邦夫さんは、はたして松平永芳宮司以上の大罪を犯したのだろうか?

今日は2018年におきた靖国神社宮司交代劇×2について、改めて考えてみたい

主に参考にするのは以下の2冊(その他の参考資料は最後に書きます)

・徳川時代に靖国神社ナンバー3だった宮澤佳廣さんの『靖国神社が消える日』
・小堀邦夫さん自身の手によって書かれた『靖国神社宮司、退任始末』

なお、この2冊については過去にブログに書いている



前提知識として


話の本題に入る前に、知っておいてほしい知識が3点ある

・靖国神社は神社本庁の被包括団体ではない
・靖国神社の最高意思決定機関「靖国神社崇敬者総代会」
・霞会館について


靖国神社は神社本庁の被包括団体ではない

神社本庁は戦後の混乱期に、神社界が生き残るために生まれた。戦争を煽った国家装置たる国家神道をブッ壊そうとするGHQに対応するためである
全国各地の神社は神社本庁の傘下に入った。傘下の神社を被包括法人という。被包括法人は、神社本庁の指導と監督を受けることになる
とはいえ、神道には教義もなければ、祀る神も神社によってバラバラなので、当初は緩やかな支配関係しかなかった
神社本庁による強権的な被包括法人支配が始まったのは、「神社界のツートップ」と呼ばれる打田文博 神道政治連盟会長・田中恆清 神社本庁総長が神社界を牛耳るようになってからだという(2004年ごろから)


一方、神社のなかには神社本庁の傘下でないものもある。これを単立法人という。靖国神社は国家護持を目指す関係から、単立法人を維持している

つまり、靖国神社は神社本庁からあれこれ口出しされる筋合いはない。教祖的な立場にある宮司の勝手で、いかようにも教義を変更できるのだ

なお、被包括法人や単立法人などの用語は宗教法人法の言葉で、神道のみに限った言葉ではない(仏教だと○○宗の総本山の傘下にある○○寺は被包括法人、といった具合)


靖国神社の最高意思決定機関「靖国神社崇敬者総代会」

さきほど「宮司の勝手で、いかようにも教義を変更できる」と言ったばかりで恐縮だが、あれはあくまで理屈の上の話。現実には様々な力関係が影響してくる

靖国神社を代表する力学は崇敬者だ

崇敬者とは、普通の宗教でいう信者のこと。氏子と違って、神社のある地域に住んでいなくともなれるのが崇敬者である
なお、靖国神社は全国津々浦々の戦死者が祭神であるという特殊性から氏子はいない。「日本国民みーんな氏子だよ❤️」という説もあるが、勝手にそんなもんにすんな

靖国神社の一般の崇敬者は、父親や兄が靖国に祀られている遺族の方が多い。高齢化で力が弱まるばかりなので、これはそこまで気にしなくていい

なお、今回の話とは関係ないが、靖国神社が崇敬者を増やす最も効率の良い方法は、遺族をつくりだすことだ
ただし、これをもって「靖国神社が戦争を望んでいる」と早合点してはいけない。それは「葬儀社が人の死を願っている」と言っているようなもの
そういう性質がある、というだけの話だ(ウヨい人は性質があることすら否定するから話がややこしくなる。アルコール依存症になりやすい体質だと指摘されたら、自らの体質を受け入れ自戒するもんだ)

今日の話で重要になってくるのは、靖国神社の崇敬者のなかに、選ばれし特別の崇敬者たちがいることだ

それが靖国神社崇敬者総代会。靖国神社の最高意思決定機関である(氏子崇敬者総代会の制度は靖国神社に限った話ではないが)

靖国神社崇敬者総代会の定員は十人。一人欠ければ、一人補充されるシステムだ。現在の総代は……

・田中恆清 神社本庁総長
・葛西敬之 日本戦略研究フォーラム副会長/JR東海取締役名誉会長
・三好達 日本会議名誉会長
・阿南惟正 新日本製鉄元副社長
・寺島泰三 日本郷友連盟会長
・水落敏栄 日本遺族会会長/参議院議員

……他4名。『選択2018年11月号』、『選択2019年2月号』、『別冊正論33号』(2018年12月)より
他4名については調べたけどちょっとわかんなかった。古いデータならあるんだけど……

靖国神社宮司の交代劇に深く関わるのは田中恆清・葛西敬之・三好達の3人

やはり田中恆清神社本庁総長が目をひく。靖国神社は単立の宗教法人であり、神社本庁の関与は受けないはずだが、崇敬者総代会に神社本庁の人間がいるのでは同じことじゃないだろうか?

もちろん崇敬者総代会に宮司を操る力がなければ、神社本庁の人間がいても関係ないが……


霞会館について

霞会館は旧華族の親睦団体。靖国神社の宮司は、基本的にここが指名をしていた
指名の要件は、とりあえず家柄が良いこと。神職の経験は関係ない

徳川康久さんは霞会館の指名をうけて宮司になった。徳川将軍家もまた旧華族の家柄である
宮司になってからの徳川康久さんの行動を振りかえると、靖国改革とでも言うべき使命を霞会館から申し付けられていた可能性はある

その徳川康久さんが事実上の解任となったことで、それ以降の宮司人事では指名が行われなかった。「僕ちんたちが選んだ宮司を辞めさせたんだから、しーらないっ」ってなもんである

霞会館のかわりに小堀・山口の2宮司を選んだのは、靖国神社崇敬者総代会と打田文博さんだった


徳川康久の靖国改革


霞会館の指名によって、徳川康久さんは2013年に第11代宮司に就任した

彼は靖国改革を断行しようとし、結果として数々のトラブルを巻き起こした

・「みたままつり」で露店を廃止(小堀邦夫宮司により2018年復活)
・靖国神社のテーマパーク化構想
・賊軍合祀の構想


「みたままつり」の露店廃止

「みたままつり」は、靖国神社が平和を求める神社であることを世間にアピールするため1946年にはじまったお祭り。慰霊にかこつけてドンチャン騒ぎしよーぜ、というコンセプトだ。これが大当たりし、「みたままつり」は露店目当ての若者で賑わい、東京の夏の風物詩となった

これに待ったをかけたのが徳川康久さん。「静かに慰霊しようね」ということで、2015年に露店を廃止した。廃止理由には、若者たちが巻き起こす乱痴気騒ぎもあったのだという。徳川康久さんが発足した調査委員会によると、「みたままつり」の期間中、危険ドラッグの横行や痴漢、強姦などの犯罪もあったのだとか

しかし、この当時靖国神社の総務部長であった宮澤佳廣さんによれば、「いやいや、そんなもん警察から聞いてねーよ。本当にそんな重大事件があったなら、総務部長の自分のとこに連絡があったはずだ」とのこと

調査委員会の報告書は、「みたままつり」を潰すため結論ありきで話を捏造したのではないかというのだ

報告書と宮澤佳廣さんの話のどちらが真実かはわからないが、ともかく、「みたままつり」からは露店が姿を消した

これに反発したのが、当時靖国神社No.2だった山口建史さん(現在の靖国神社宮司)だ。彼は靖国神社を飛び出し、皇学館大学の常務理事におさまる

なお、「みたままつり」の露店は小堀邦夫宮司の時代の2018年に復活した


靖国神社のテーマパーク化構想

先にも述べたように、徳川康久さんが「みたままつり」の露店を廃止した意図は、靖国神社を静かな慰霊空間にしたい、というものだった

よーするにチャラチャラしたやつは靖国神社に来るな、ということなのだろう

だというのに徳川康久さんは露店を中止した2015年秋、新たな企画として「みらいとてらす」を実施する。靖国神社をライトアップし、遊就館正面の壁面にプロジェクションマッピングを施す「みらいとてらす」は、靖国神社のイメージを大きく変えるものだった

「お前、靖国を静かに慰霊する場所にしたいんか、賑やかにしたいんかどっちやねん!」という靖国神社職員たちの心の叫びが聞こえてきそうだ

さらに2016年の「みたままつり」で、徳川康久さんは中庭に人工の星空をつくりだした

"期間中、中庭には、150年記念事業を一手に取り仕切る企画会社によって約800個の電球が設置され、LEDの光で夏の星空を象徴する天の川と夏の大三角形が夕闇に描き出されました" 宮澤佳廣『靖国神社が消える日』

ポイントになってくるのは"150年記念事業を一手に取り仕切る企画会社"という点だろうか(靖国神社は2019年6月に創建150周年を迎える)

既得権益たる露店商を排除し、企画会社を優遇する……。徳川康久さんの改革を支持していた人からも、反対していた人からも、どことなくお金の匂いがするのは気のせいだろうか

それはともかく、こうした一連の動きから「靖国神社がテーマパーク化するぅぅ」と宮澤佳廣さんは『靖国神社が消える日』で警鐘を鳴らしている


賊軍合祀の構想

これは徳川康久さんが、明治維新の際に「賊軍」とされた新撰組や白虎隊などを靖国神社に合祀するんじゃないか、と疑われた問題である

この問題が浮上したのは、2016年6月に共同通信が配信した徳川康久さんのインタビューから

〈私は賊軍、官軍ではなく、東軍、西軍と言っている。幕府軍や会津軍も日本のことを考えていた。ただ、価値観が違って戦争になってしまった。向こう(明治政府軍)が錦の御旗を掲げたことで、こちら(幕府軍)が賊軍になった〉

一部地方でしか配信されなかったはずのこのインタビューは、週刊ポストによって全国に拡散された

一部のウヨたちはこれに大盛り上がり。以前から徳川康久さんに賊軍合祀を持ちかけていた亀井静香さんは、石原慎太郎さんと共に改めて合祀の申し入れを行った

しかし賊軍合祀は靖国神社の在り方を根本的に変えるものとして、ウヨのなかからも強硬な反対論が持ち上がった。『靖国神社が消える日』を書いた宮澤佳廣さんもその一人である

結果、徳川康久さんは「賊軍合祀を持ち出して世間をお騒がせした愚か者」として、事実上解任されることとなる

……しかし、実は徳川康久さんが賊軍合祀を公の場で肯定した事実はない。むしろ彼は「合祀は無理っすわー」という立場を貫いていたのである

宮澤佳廣『靖国神社が消える日』もその点は認めているが、

"とはいえ、その内容を冷静に分析すれば、いずれも「賊軍」合祀の可能性を明確に否定するものではありませんでした"
"単に「合祀を遠慮すべき」という意味なのか、それとも「みずから合祀を求めることを遠慮すべき」という意味なのかは不明です"
"後者であれば、そうした環境が整えば「合祀もやぶさかではない」ということになり、"

……といった具合に、推論の上に推論を重ねて推測し、その上で長々とした批判が続くのであった

2019年3月現在から振り返ると、周囲の人間が勝手に盛り上がりを奇貨として反徳川の勢力が全力で彼を叩いた、という見方もできるわけだ


『靖国神社が消える日』への疑惑


神社本庁は靖国神社を狙っている!……のかもしれない話」でも書いたが、先ほどからたびたび名前を上げていた宮澤佳廣『靖国神社が消える日』についての推測を披露しよう

宮澤佳廣さんは最終的に靖国神社の禰宜(ねぎ)の地位にまでのぼりつめた人。禰宜は靖国神社ではNo.3の地位にあたる

彼は靖国神社では異色の経歴をもっていた。もともとは神社本庁の人間であり、本庁の渉外部長・神道政治連盟事務局長などを歴任した人物なのだ
つまりは「神社界のツートップ」とパイプを持っていて当然なのである

また、宮澤佳廣さんが退任したのは2017年の6月末。『靖国神社が消える日』の出版がその約一ヶ月後。退任前から本書を準備していたことになり、その手回しの良さが気になってくる
徳川康久さんが靖国宮司を辞任したのが出版の約半年後なので、本書の効果が絶大だったことがわかる

これらのことを考慮に入れると『靖国神社が消える日』が違った目で見えてくる

つまりは『靖国神社が消える日』は徳川康久さんを追い落とし、靖国神社における神社本庁の支配力を強めたい勢力のために書かれたものなのではないだろうか?

また、『靖国神社が消える日』では靖国神社の国家護持が主張されている
その要旨は「靖国神社は単立の宗教法人なので、神社本庁の監視を受けることなく宮司の一存で変容してしまう。だから国家護持にしなければならない」というもの
国家護持が現実的ではないことは宮澤佳廣さんも承知のはずなので、これは遠回しに「神社本庁の被包括団体に入れ」と言っているのではないだろうか?

さらに言えば、前述したように崇敬者総代会のなかに神社本庁の人間がおり影響力を及ぼしていることも『靖国神社が消える日』は無視している。本書が言及しているのは一般の崇敬者たちのことのみであり、その力の弱まりをもって「宮司の権力が相対的に強まるから危険なんだ!」と主張しているのである。崇敬者総代会が靖国神社の最高意思決定機関であることを考えると、違和感を覚えてしまう主張だ

こうしたことから、宮澤佳廣『靖国神社が消える日』からは、神社本庁の勢力を広げたい者の意向を受けて書かれたものではないかという疑念が生まれるのである


小堀邦夫の宮司就任に暗躍した人々


本人が否定的だった賊軍合祀論の責任をとる形で徳川康久さんが宮司を辞任したのは2018年2月末日(表向きは「一身上の都合」と発表されている)
かわりに宮司に就任したのは小堀邦夫さんだった

小堀邦夫さんの就任に霞会館が関わっていないのは前述したとおり

では誰が指名したのか?

小堀邦夫『靖国神社宮司、退任始末』では、神社本庁統理(当時)の北白川道久さんに推薦してもらったのだと書いてある

しかし雑誌『選択』やhttps://mainichi.jp/premier/politics/articles/20181019/pol/00m/010/002000dなどによれば、どうもそうではないようで……

小堀邦夫さんを宮司にしたのは、靖国神社崇敬者総代会の葛西敬之さんである。葛西敬之さんの後見として三好達さんも力を貸したという(『選択』ではこの2人が徳川宮司下ろしを主導したとされている)

そして、葛西・三好に小堀邦夫さんを推薦したのは、神社本庁総長であり崇敬者総代でもある田中恆清さんであった。田中恆清さんとともに「神社界のツートップ」と呼ばれる打田文博神道政治連盟会長の意向も入ったことは想像に難くない

ようするに、実質的には「神社界のツートップ」による人事なのだ

では、なぜ小堀邦夫さんだったのか?

小堀邦夫さんは伊勢神宮の筆頭祢宜(ねぎ)をつとめた人物
2013年の式年遷宮(伊勢神宮の社殿の建て替え)では、広報副本部長をつとめた。そして広報本部長は田中恆清さんだ
さらに言えば、小堀邦夫さんは打田文博さんとも親しい間柄だったという

徳川康久さんの追い落としに陰謀が絡んでいたかは推測するしかないが、少なくとも靖国神社における「ツートップ」の影響力が増したことは疑いようのない事実である


小堀邦夫の苦闘


ツートップの後ろ楯があったとはいえ、宮司に就任した小堀邦夫さんもやりたい放題できたわけではない

まず徳川派・反徳川派の争いがあり、怪文書(徳川批判が大半)が乱れとんでいた。財政上の問題もあった。それらの問題が話し合われた就任直後の総代会では、会議記録が盗まれもした

総代会で話し合われた問題のひとつに、資産運用の失敗がある。外資系の証券会社と癒着した職員が、20億円の含み損を出していたのだ。総代会はこれを不問にし、お咎めなしということにしてしまった

また、靖国神社創建150周年事業の問題も話し合われた。これは宮澤佳廣『靖国神社が消える日』でも言及されていた"150年記念事業を一手に取り仕切る企画会社"に関わるものだ

公表されていた事業計画では、神社が10億円・募金が10億円の合計20億円で成されるはずだったが、それに中長期計画も合わせて総代会の時点ですでに35億円余りの予算が計上されていたのだ

なにかの事業に「中長期計画」を合体させ、区分を曖昧にして予算を膨れ上がらせるのは、その予算でウマウマしたい人間の常套手段である(オリンピックでもそんな話ありましたねぇ)

これは膨れ上がる150年記念事業を主導する"企画会社"だけが悪いのでなく、そこに関わっている幹部職員の責任問題でもある

靖国神社職員はバカなのか? ~小堀邦夫『靖国神社宮司、退任始末』を読んで~」にも書いたが、どうにも靖国神社の職員は質が悪いようである


小堀邦夫の退任


小堀邦夫さんは職員の質を上げようとしたり、記念事業の闇を暴こうとしたりと奮闘したが、2018年10月末日に退任することになる

例の「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。(中略)はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?」という不敬発言が流失した問題である

これは2018年6月に靖国神社内で会議が開かれたのときの発言だ。音声データの流失とともに左右から批判の声が上がり、その責任をとって辞任したのは当然の話

しかし、何者によって録音され、何者によって流失したのかは不明のままである。会議に出席していたのは職員のみであり、見つけ出そうと思えば簡単に見つけられそうなものなのに、だ

不明のままにする、という結論ありきで靖国神社・靖国神社崇敬者総代会が動いていたふしもある

そもそも問題が発覚してから退任までが早すぎた(徳川宮司の賊軍合祀容認ともとれる発言が広まってから退任まで一年半以上かかっている)
このため、小堀宮司が150年記念事業の闇に切り込もうと設置を目論んでいた「綜合企画委員会」は、発足予定日の11月1日を待たず空中分解することになる

ここにも何らかの陰謀の臭いを嗅いでしまうのは、しかたのないことだろう

靖国神社の内部報告書には、徳川康久さんに近しかったグループが怪しいと書かれているらしいが……


小堀邦夫→山口建史で利益を得た者は誰か?


小堀邦夫さんから山口建史さんに宮司の座が移動したことによって、利益を得た者たちがいる

・創建150周年記念事業を主導する企業と深く繋がっていた者たち(旧徳川グループ)→利権構造の追及がなくなった
・山口建史さん→靖国神社に戻れたうえ宮司に昇格できるなんてラッキー!
・神社界のツートップ

打田・田中のツートップは、小堀邦夫さんの辞任によって、より自分たちに近い山口建史さんを宮司に据えることができた

山口建史さんは"右翼思想の人で、そちらに幅広い人脈を持っている"(https://biz-journal.jp/i/2018/11/post_25428_entry.html)人である

彼もまた、『靖国神社が消える日』の宮澤佳廣さんと同じく、もともとは神社本庁の人間だ

打田文博さんがまだ神社本庁の渉外部につとめ人事権を掌握した時代に、教化部長などを歴任していたという

ようするに打田文博さんにとっては自分に都合の良い人材なのである

小堀邦夫さんの退任に関与したかどうかはわからないが、打田文博さんにとってそれがプラスに働いたことは事実だろう


終わりに


……と、まあ、えらく長くなってしまったが、2018年の靖国神社宮司交代劇をおさらいしてみた

交代劇の場に田中恆清神社本庁総長・打田文博神道政治連盟会長が存在し、交代劇のたびに影響力を増していったことがわかった

靖国神社の現状は、少なくとも宮澤佳廣『靖国神社が消える日』が唱えたような「宮司一人の意向で靖国神社の在り方が変わってしまうぅ!!」というような状態にないことは間違いないだろう

また、小堀邦夫さんは『靖国神社宮司、退任始末』において、宮澤佳廣さんとは違った視点で靖国神社が単立の宗教法人であることを問題視している。その解決策として提言しているのが神社本庁の被包括団体になることなのだ

靖国神社がツートップの支配する神社本庁の傘下に入る日は、もしかするとそう遠い話ではないのかもしれない


参考


『選択』2018年11月号・2019年2月号