学生時代を右翼活動に捧げた人たちは大人になったらどうなるのか?

政治運動に明け暮れ、学生の本分たる学問をおろそかにしていた彼・彼女らで評論家に転生できるのは極わずか(ウヨ系の評論家に学が必要か?という疑問はあるが……)

かといって右翼団体職員になるのも狭き門のはずだ
青木理『日本会議の正体』では、日本会議ですら職員には薄給しか与えられていない現状が記されており、ウヨ団体全般の雇用状況の悪さが推測できる

このため大半は偏向した歴史認識・政治思想を隠したまま、一般企業や官庁に就職して野に放たれることになる
(『大田堯・寺脇研が戦後教育を語り合う: この国の教育はどこへ向かうのか』で寺脇研さんが語るところによれば、日教組憎しで文部官僚になった人は多いらしい。でも、それも狭き門だよなぁ……)


しかし、ここに漆原亮太という青年実業家がいる

学生時代に「平成軍国少年」を名乗っていた痛々しい過去を持ち、有名ウヨ・岩田温さん率いる磐南総合研究会(日本保守主義研究会)にも参加していた人物だ

卒業後、彼は評論家になることもなく、一般企業に就職することもなかった
なぜなら彼は学生時代に自らの企業を立ち上げていたからである
そして今では出版社や学習塾を経営している、立派な青年実業家だ。工事現場のIT化をすすめる企業の役員でもある

一方で、前回お話したように、ウヨ系のエセ学会「日本国史学会」の事務局で会計をつとめてもいる
つまりウヨ活動もやめていないということだ


そんな漆原亮太さんの話を、今日はしようと思う


「平成軍国少年」だった学生時代


漆原亮太(うるしばら・りょうた)

漆原亮太さんは1984年生まれ。2003年に早稲田大学高等学院を卒業、そのまま早稲田大学法学部に入る

早稲田大学には一年先輩に岩田温さんがいた。岩田温さんは2002年、静岡県立磐田南高等学校に在籍中、物理工作部の仲間とともに「磐南総合研究会」を設立していた
ラーメン屋で研究会設立を誓ったエピソードは皮肉抜きで面白く、磐南総合研究会のwebアーカイブから「ご挨拶」→「由来・設立課程」と進んでいけば読める(いやー、顔写真あるけど岩田温さん若いわー)

※磐南総合研究会アーカイブ

早稲田大学だったら他にも色々ウヨ系のサークルがありそうなものだが、漆原亮太さんはなぜかこの「磐南総合研究会」に入ることになる

そして彼は「漆原亮太の平成軍国少年今日もゆく」というブログを2005年に開設する

残念ながら大部分の記事は消えているが、2005年5月の新歓勉強合宿で「日本が大東亜戦争に突き進んだのは共産党の陰謀だ!」などと意味不明な発表をしている姿が確認できるのでヨシとしよう

同じく「漆原亮太の平成軍国少年今日もゆく」から2006年12月の記述より
このときは展転社から岩田温さんの処女作『日本人の歴史哲学』が発売されたばかりとあって、なかなかに情感のこもった文章である
"私も出版までの過程に携わっていたので、書店に並んでいるのを見たときは、感慨もひとしおでした"

磐南総合研究会が日本保守主義研究会に名を変え、学生サークル的な団体から大人のためのウヨ団体に脱皮しようとしていた2007年
漆原亮太さんは他2名の学生とともに日本保守主義研究会を代表して三島由紀夫&森田必勝の憂国忌に参加。檄文を朗読した

……と、漆原亮太さんの「平成軍国少年」時代はなかなか充実したものだったようだ

ただし、充実していたぶんだけ卒業は遅い。結局、漆原亮太さんが早稲田大学を卒業するのは2008年9月のことになる(ストレートにいけば2007年3月。まあストレートにいくことが必ずしも良いことではないが)


啓文社&編集プロダクション・アカデメイア


ウヨ活動に熱中して大学卒業が遅れてしまった漆原亮太さん
しかし漆原亮太さん本人はあまり気にしていなかったはずだ

なぜなら彼はすでに働いていた……だけでなく、すでに一国一城の主となっていたからだ

啓文社のホームページに記載された漆原亮太さんのプロフィールを見ていただきたい

これによると漆原亮太さんは2003年4月、早稲田大学入学当初から、後に彼が経営することになる出版社の啓文社で働きはじめていたのだ

さらに在学中の2007年10月には、編集プロダクションの「アカデメイア」を立ち上げている
啓文社をはじめ、成文堂、PHP研究所、講談社、KKベストセラーズ、オークラ出版、イーストプレス、青林堂などの書籍、雑誌の編集をしていたらしい
もちろん書籍の名に値しないウヨ系のそれが主であるが……(日本遺族会が主要取引先になってるのが興味深い)

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アカデメイアで編集していた本やムックの数々はこんな感じ

井上太郎『諜報機関 - 日本の諜報活動最前線を記す』
岩田温『逆説の政治哲学―正義が人を殺すとき』
小川榮太郎『一気に読める「戦争」の昭和史 1937→1945』
小野善一郎『日本を元気にする古事記の「こころ」』
高山正之&川口マーン惠美『日・米・独――10年後に生き残っている国はどこだ』

オークラ出版『撃論』関係ムック
『利権マスコミの真実―「報道しない自由」を作ってきたのは誰だ』 
『特定秘密保護法反対は反日マスコミの最後の断末魔』

また、『撃論』(隔月誌)では、アカデメイアではなく漆原亮太さんの名義でvol.1、vol.2に編集として参加していることが確認できる

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まあ、他にもアカデメイアが関係する本はたくさんあるんだろうが、これでだいたいの感じはつかめるだろう
ようは売らんがためのビジネス右翼本ばかりである

特に注目すべきはオークラ出版『撃論』関係だ。岩田温さんが連載しているばかりでなく、前回ブログでアップした「ネトウヨはコピー商品がお好き?~『Will』と『Hanada』と『撃論』と~」でも書いたように、『撃論』(隔月誌)の表紙は『Will』と酷似している

つまり漆原亮太さんは、コピー商品をつくっても平気な人物ということになる
(露骨に寄せていくのは『撃論』第3号からだが、1号・2号もたいがい『Will』と似ている)


日本DID株式会社と松本洋三


実は漆原亮太さんは名刺サイト「Eight」でもプロフィールを公開している

そこには主な肩書きとして、啓文社と並んで「日本DID株式会社」の代表取締役とある(2017年3月~執行役員、2017年9月~現職)

日本DID株式会社

ホームページを見ると、どうやら工事現場のIoT化やデジタルサイネージなどを進めている会社のようだ
東京ワンセグ放送株式会社と業務提携し、エリア放送事業に参入しているという

ホームページから会社概要に進むと、漆原亮太さんが専務取締役なのだとわかる

なぜそんな畑違いの会社に漆原亮太さんが……?

そう思い、経営者である松本洋三さんを調べてみた

どういう人かは、松本洋三さんのFacebookを見れば一目瞭然である

松本洋三さんは最近流行りの「ヤァヤァ我こそは真の保守なり」というタイプの人物だ
ウヨ議員やウヨ論客たちを痛烈に批判しつつ、返す刀でリベラル派を斬る
"高須が一言吐くたびに保守派の格調が色褪せる"(2018年12月28日)などの発言は痛快だが、「あー、所詮は右翼だなぁ」と思うようなところもチラホラ


かつて「新右翼」と呼ばれた人々の一人、蜷川正大さんのブログ(https://blog.goo.ne.jp/snforever)にはたびたび「憂国の企業家・松本洋三氏」の名前が登場する

同姓同名かとも思ったが、"FBで知り合いになった松本洋三さん"(2012年5月9日https://blog.goo.ne.jp/snforever/e/450609e0b7e2e891536eea5bb752d623)とあるように、蜷川正大さんのFacebookの友達リストには、日本DID株式会社代表である松本洋三さんのアカウントがある

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と、いうわけで「憂国の企業家・松本洋三氏」が日本DID株式会社代表と確定したわけだ

蜷川正大さんのブログからは、松本洋三さんの交遊関係が覗き見える

"松本洋三氏に食事会にお招き頂いた。まず松本氏の会社を訪問、そこで元衆議院議員の松田学先生をご紹介される。(中略)食事会にはもう一方が徳島から駆けつけて来てくれた。八幡和郎先生である"

松田学さんといえばこのツイートで有名(?)なウヨい人だ
"日頃からお世話になっている日本会議の椛島有三・事務総長と、東京の日本会議の本部にて"


"松本洋三社長に誘われて、作家の大下英治氏が銀座で開催している飲み会に参加した"

大下英治さんは政財界のアンダーグラウンドを描いた小説・ルポルタージュで有名な作家。とにかく多作。うちには「1年に3冊以上単著を出してる奴は信用するな」の家訓があるので、僕は読んだことない


"松本洋三氏と相計って、再び、ヨコハマを拠点にして勉強会を開催する運びとなった。二十一世紀書院・政治政策研究会と銘打った最初の講師は、新進気鋭の論客として注目されている岩田温先生である"

ここでもでてくるか、岩田温さん!


"松本洋三氏が主催する勉強会が、氏の会社のセミナー室にて行われ出席。講師は、八幡和郎先生"

先にも出てきた八幡和郎さんは、啓文社でも著作のある有名ウヨ評論家。通称「アゴラ芸人」。最近、歴史学者の呉座勇一さんに絡んでアホをさらしたことでプチブレイクした人だ(参考:https://rondan.net/12043)

2017年7月には漆原亮太さんの名義で「斉藤たつや横浜市議と八幡和郎先生と共に日本の未来を考える会」というイベントがFacebookに告知されている
このイベントページで漆原亮太さんへの連絡先としてあげられた電話番号045-534-6807は、日本DID株式会社のものである


以上見てきたように、日本DID株式会社代表の松本洋三さんは右寄りの思想をもち、右寄りの人脈を築いている
畑違いの漆原亮太さんを役員に起用したのもそうしたウヨ活動の一環だと思われる

いやー、ウヨのプロ市民さんはこういう渡世ができていいなぁ!


感想


漆原亮太さんは他にもネット古書店や学習塾の経営もしているが、ウヨ活動とは関係なさそうなのでここでは言及しない

……漆原亮太さんが2018年3月から代表取締役をつとめる学習塾の「清啓塾」から防衛医科大学を目指す子どもがいるらしいが、彼の思想性とはさすがに無関係だろう。……無関係だよね?

それはともかくとして、漆原亮太さんの半生は、右左関係なく、政治運動に関わる学生たちにとって参考になると思う

学生のうちから関連分野で働きはじめ、有力な人脈をつくり、会社をおこす……

僕とは歴史認識・思想性の違いはあれど、彼のような戦略的な生き方は面白いと思う

本当は普通に就職した大人たちもガッツリ政治運動できる社会でなければならないんだろうけど、現実問題そうなっていない以上、政治的な学生さんたちは漆原亮太さんをロールモデルにしたら良いのでは?(彼の歴史認識・思想性はともかく)