「2分の1成人式」とは、成人の2分の1、つまりは10歳になる小学4年生を祝う学校行事です
授業参観や運動会のように親を学校に呼んで行います

1970年代半ば頃に兵庫県西宮市の教師がはじめ、2000年代から全国の小学校に広まりました

この「2分の1成人式」、大絶賛する親が多数を占める一方、なにかと批判も多い行事でして……


エセ元服+エセ結婚披露宴=2分の1成人式


各学校によりやり方は違うので一概には言えないのですが、「2分の1成人式」はだいたい次の2点の要素から成り立っています

・将来の夢や志を発表する「エセ元服」
・子が親へ感謝を表明する「エセ結婚披露宴」

教育社会学者である内田良さんをはじめ、多くの人々が批判しているのは後者のほうです(僕は前者にも否定的です)

もともと「2分の1成人式」は前者の要素だけではじまったのですが、新自由主義的価値観の発展とともに行政・学校が親を消費者とみなすようになり、顧客満足度のため後者の感動要素を取り入れたのだと推察されています

「エセ披露宴」は、2つの要素から成り立っています

・生まれてから10歳までの「成長アルバム」
・親から子へ、子から親への「感謝の手紙」

「成長アルバム」をスライドショーで見て気分を盛り上げてから「感謝の手紙」の朗読で感涙する、という流れが一般的です
結婚式の披露宴で花嫁さんがやっているアレと同じものだと思えば、だいたいあってます(なぜ花婿はやらないのか、という疑問は今回スルーします)

さて、ここで疑問がでてきます

・親との関係が良好でない花嫁は、披露宴でこんなことをするだろうか?
・そもそも関係が良好でない親を結婚式に呼ぶだろうか?

これは「花嫁によって違う」が正解となります
つまり主体は花嫁なのですね
社会的な同調圧力なんかはあるにせよ、「やる・やらない」「招待する・しない」の選択権は基本的に花嫁が握っています

一方、「2分の1成人式」の選択権は誰にあるのか?
学校です
つまり子どもにとっては強制でしかありません

親と関係が悪かろうが、死別してようが、虐待されてようが、関係なしなわけです。虐待親への感謝を強制されるなんて、地獄というほかありませんね

たとえ関係が良好でも、多忙な親ならアウトです
「2分の1成人式」の日、親にどうしても外せない用事があれば、子どもは親のいない教室で親への感謝の手紙を朗読することになります
昔から漫画では「授業参観に家族が来てくれなくて淋しい」というネタがありますが、その比じゃないくらいの切なさです

つまり「2分の1成人式」は「両親ともに健在で、親子の関係は良好、学校の指定した日に親が登校できる」という家庭環境の子どもしか想定していないわけです

想定から外れた子どもはクラス単位で見れば1人か2人ていどかもしれませんが、少数派であるがゆえにより深い苦しみを味わうことになります

こうしたことから"「2分の1成人式」は「2分の1虐待」"(東和誠『問題だらけの小学校教育』)とも呼ばれています


「2分の1虐待」以外にも「2分の1成人式」にはいくつか問題があるのですが、今回はスルーします
良書が何冊も出ているので、そちらをドゾー(最後に参考文献としてあげておきます)

前置きが長くなって忘れるところでしたが、今回僕が話したいのは、小説『2分の1成人式』についてなのです

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小説『2分の1成人式』


2015年、「2分の1成人式」をテーマにした児童向け小説が出版されました
タイトルはそのまんま『2分の1成人式』。作者は井上林子さんで、挿絵は新井陽次郎さんが担当。文章もイラストも可愛らしい感じで素敵です

メインとなるキャラクターは2人

勉強も習い事もダメダメな女の子「ユメ」
落ち着いた雰囲気の男の子「のぞみ」

この2人の小学4年生が「2分の1成人式」をキッカケにして夢や将来について考えていく、といった感じのストーリーです

ユメちゃんは、かつての日本にはこんな中流家庭がゴロゴロしてたんだろうなあ、って感じの家庭で育っています
描写からして、少なくとも日本に7人に1人という割合で存在する貧困家庭の子どもではないでしょう
それにプラスして優しいパパとママという、まさに「2分の1成人式」が想定している家庭環境下にある子どもですね

一方のぞみ君は、ちょいと複雑
ユメちゃんと同じく貧困家庭ではなさそうですが、この子の家にはお母さんがいない
なぜなら、のぞみ君が小学1年生のときに乳ガンで死んでしまったから
多忙なお父さんと、医者を目指して勉強するお兄さんがいるのみです
つまり「2分の1成人式」が押し付けてくる家族観から外れた存在なわけです

これはなかなか波乱の予感がする人物配置ですねぇ


「2分の1成人式」がまねくのぞみ君の危機


ユメちゃんとのぞみ君は「2分の1成人式」をキッカケとして、それぞれ別種の危機に陥ります

のぞみ君のほうは、まさに「2分の1成人式」が抱える問題点の典型例です

すなわち「こういうものが普通の家族ですよー」という家族観の押し付けは、そこから外れたのぞみ君のような子どもを傷つけてしまう、という問題です

この小説における「2分の1成人式」では、式それ自体だけでなく、関連したワークシートを作成することも重視されています
そこには「十年間の自分史」を書き込むワークもありまして

のぞみ君は赤ん坊のころのことがわからないと悩みます。お母さんは死んでいるし、お父さんとお兄さんは忙しくてとても聞けない、と

一見すると「家族観を押し付けられて苦しいぜ!」みたいな観念的な悩みではなく、しごく現実的な悩みのようにも見えます
しかし、のぞみ君が病院の乳ガン検診室を目にしただけでひどく落ち込んでしまった描写からして、とてもそれだけですまされる話ではなさそうです

のぞみ君にとって、過去を振り返るにはまだ早すぎたのですね

また、「2分の1成人式」は「普通の家族」を無自覚に押し付けてきます。裏返せば、「2分の1成人式」の想定から外れた家庭に育っている子どもは「普通ではない、可哀想な自分」を意識せざるをえないわけです

将来、多様性ある社会をつくっていかなくてはならない子どもたち
その子どもたちに「普通でない自分」を無自覚に責める「2分の1成人式」は、やはり害悪だな、と思います

「普通」なんて、本当は気にする必要ないのにね


やだ……ユメちゃんの自己肯定感ひくすぎ


さて、お次はユメちゃんの危機です

先にも述べたように、ユメちゃんは勉強も習い事もダメダメな女の子です
おまけに年齢のわりに幼く、いまだに魔法少女に憧れています

言うまでもなく、勉強や習い事が不得意でも、子どもっぽくても、小学四年生の段階ではなんの問題もありません

しかし「2分の1成人式」の「エセ元服」の要素が、ユメちゃんを追い詰めるのです

先に述べたワークシートには、○年後にどうなっていたいか書き込む「未来の予定表」や、二十歳の自分へあてた手紙、将来の夢を語る作文などもあります
それらを埋めるため、ユメちゃんは四苦八苦します

そして、まわりの友達と自分を比較し、劣等感にさいなまれてしまいます

ましてやユメちゃんは、「2分の1成人式」以前からこんな考えをもっていたのだからなおさらです

"あたしは、わかった。
さとった、と言ったほうがいいかもしれない。
勉強も、運動もできない、とりえもない、前向きでもない、そんな手おくれなあたしの人生は、すでに終わっている、ということが。
十才にもたれば、わかる。
自分がどれだけできない子か、ということが"

こんな考えをもつ子どもが、「2分の1成人式」に追い詰められてしまうのは必然でしょう。その様子は親から志を強要され、追い詰められて万引き少年となってしまった佐々木喜一さんを彷彿とさせます


これが僕が「エセ元服」にも否定的な理由です

夢や志をもつことは、そりゃ大切なことでしょう
よりよく生きるためには、必須のものかもしれません
しかし、それを強制することは間違っています
子どもたちにはそれぞれ成長速度があるからです

将来の夢を強制されることは、まわりの友達より成長の遅い子どもにとって、劣等感を植え付けられることと同義です
将来の夢や志を強制することによって、逆に将来を悲観することに繋がりかねません

ましてや、いまは人間の価値を生産性ではかる修羅の世界
将来を悲観する子どもにとって「2分の1成人式」は、自分が未来の敗北者となる様をまざまざと思い描くイベントに他ならないわけです


2人だから乗り越えられた。2人じゃなかったら乗り越えられなかった


ユメちゃんとのぞみ君は、それぞれの危機をお互いに支え合いながら、なんとか乗り越えました
結果的に「2分の1成人式」は、2人の成長に繋がったわけですね

しかし、それは結果論に過ぎません
ユメちゃんにとってはのぞみ君が、のぞみ君にとってはユメちゃんがいたから、2人は危機を乗り越えていけたのです

逆に言えば、2人が揃っていなければ乗り越えられなかった

最終的に成長できたのは、2人が力を合わせたからであって、「2分の1成人式」のおかげではない

「2分の1成人式」は、ただ無用な危機を与えただけなのです

「結果的に成長できたんならいいじゃないか」と思う人は、殺人鬼にでも襲われて九死に一生を得てください。たぶん人間的に成長できますから


なお、小説『2分の1成人式』においては、「感謝の手紙」の要素は取り除かれています
「感謝の手紙」は「2分の1成人式」の最も特徴的な要素でありながら、最も批判の集まる場所でもあります
のぞみ君のような子どものために配慮した学校側……というか作者の心配りには、素直に頭が下がります


おわりに


と、まあいろいろ言ってきましたが、小説『2分の1成人式』はなかなか良い小説です

最初はただクサすためだけに読み始めたものの、子どもたちの成長譚として面白く、ついのめりこんで読み進んでしまいました

しかも面白いだけでなく、深く読み込んでいくと、上記で指摘したように「2分の1成人式」の問題点が見えてくる、という良仕様です

創作意図が「2分の1成人式」を肯定的に描くことにあったのか、否定的に描くことにあったのかは定かでありませんが、深読みする子どもなら、ちゃんと問題点に気づけるかと思います


最後に、TOSSのことに軽く触れて今日の話は終わりにしましょう
TOSSは「教育技術法則化運動」を推進する団体です
ようは「教師たちは良いやり方を共有してこうぜ!」というノリの団体ですね
そのこと自体は決して悪いものではないのですが、共有するものが「水からの伝言」だったり「EM菌」だったり「江戸しぐさ」だったり……
つまり疑似科学や歴史修正主義との親和性の高い団体なわけです
また、右翼的なものとの関係性が高いのも気になるところです

そんなTOSSが「2分の1成人式」を推進していることが、堀越英美『不道徳お母さん講座』では指摘されています

TOSSは「2分の1成人式」による「エセ結婚披露宴」要素の悪いところを抜き出したような「親守詩」というイベントもやっており、注意が必要な団体です


参考文献


内田良関係:
『教育という病』
『子どもを守るために知っておきたいこと』
『ブラック化する教育 2014-2018』

東和誠『問題だらけの小学校教育』

堀越英美『不道徳お母さん講座』